何気なく見つけた南山城跡

2011
06-30
 何気なく南部路をドライブをしていると、糸満市にある私の同級生の農園、寿々ファームの近くに来ていることに気づき一寸寄り道です。寿々ファームの畑をのぞくと同級生はいなかったものの、660坪の畑はちゃんと耕されている。野菜を植える準備は整っているようだ。しかし!疑問です、沖縄では夏場は野菜が無くなるのです、太陽が強すぎて野菜が育たないと聞いたような?。まあ何か考えているのでしょう、ということにして、寿々ファームを離れ、大きな通りに出る交差点の近くまで来ると、何か気になります、交差点の左角の土地に石積みがあります、今まで何度も通っているのだが、学校とばかり思いこんでいて、気にもしていなかったのです。今日は気になります、最近沖縄の「城」を散歩していたせいでしょうか。たしか、この辺りには「南山城」があったはずです、石積みの手前の狭い道路を中に入ってみます、車の右側には石積みが続いていて、中ほどに石の階段があります、上の方を見ると鳥居があります。伊祖城のときと同じです。またか!と思いながら近くに車を止め階段を上がると、南山城跡の説明書きが立てかけられています。当たりです、ここは、南山城なのです。

南山a 南山b
 
南山城

調べてみて解ったのですが、私が小学校と思ったのに間違いはなく、高嶺小学校の敷地の中に南山城はあるのでした!

説明書きには

南山城跡(なんざんじょうせき)

 南山城は琉球三山分立時代(14世紀頃)に栄えたグスクです。南山は明国と交易を盛んに行い、財源を得たり、明文化を移入したりして城を中心に南山文化を築いていました。15世紀になって中山王尚巴志に滅ぼされるまでの朝貢回数は22回を数えます。
 一九八四年、発掘調査が市教育委員会によって行われ、中国製陶磁器やグスク系土器の他、備前焼きスリ鉢、鉄鏃、ガラス製勾玉などが出土しています。これらの遺物から南山城は13世紀頃に築かれ、14~15世紀前半が特に栄えていたことが分かりました。
 南山の東方には水量豊かな「カデンガー」、北方には源為朝と王の妹との逢引場所だと伝わる「和解森」(わだきなー)があります。
平成13年3月  糸満市教育委員会

南山c 南山d


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★次は「沖縄花探し散歩」を7月2日公開です★

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台風2号被害の畑は今

2011
06-28
 5月28日から29日未明にかけて、沖縄にかなりの被害をもたらした、台風から1カ月近くたちました。私がいつも散歩する漫湖公園内の、なぎ倒された木々も枝が切り落され、1m近くの丸太状態で積み上げられ、片付きつつあります。シルバー人材センターの皆さまの日々努力のたまものなのです、お疲れ様です、有難うございます。しかし、塩害を受けた木々の一部は新芽が芽吹き始めたり、花が咲いている木もではじめているものの、枯れ木状態のままの木もまだあります。公園内の被害にあった木々の全てが片付いて、塩害を受けた木々の緑が回復するにはまだまだ、時間がかかりそうです。早めの回復を祈りたいものです。

漫湖a 漫湖b

漫湖c 漫湖d

 そんな中、台風のとき壊滅的な被害を受けた、爺ちゃまの畑のナーベーラー(ヘチマ)、キュウリ、ゴーヤー、20日ネギの植え替え作業が終わり、すくすくと苗が育ちつつあります。ゴーヤーはふーちゃんが中部農林高校生からゲットした種から作った苗が一つ余っていたので、台風が去った後直ぐに植え替え、既に80㎝近くまで成長しています(下の左側の写真、電柱を支えるワイヤーの黄色いカバーの裏側に伸びている蔓)ナーベーラー、キュウリ(上の写真)、20日ネギの苗は5~6日前に植えたばかりですが、直ぐに成長して以前のように実がつくのを楽しみにしているとのことでした。下の右側の写真は、パッションフルーツの蔓ですが、台風で塩害を受け、葉が黄色くなっているものの、たくましく生き続けています。早く収穫できる日が来るといいね!

畑a 畑b

畑c 畑d

 沖縄の農家の被害も大きかったようです、台風のような自然災害の多い沖縄での農業は大変とは思いますが、県民へ、安心・安全な農作物をを供給するため、これからも頑張っていただきたいと願っております。感謝していますからね~!


「台風2号被害の畑は今」の記事を書いている最中に、またまた台風5号の被害です! 6月24日から25日にかけて久米島や先島地方を暴風域に巻き込んだ大型の台風5号が、先島地方で農作物に約1億2千万円の被害をあたえたとの新聞記事、人的被害は無いということで安心したのですが、やはり農家は大変です。


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★次は「何気なく見つけた南山城跡」を6月30日公開です★

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琉球史跡散歩:南城市玉城路[5]

2011
06-25
受水・走水(うきんじゅ・はいんじゅ)

 受水・走水(うきんじゅ・はいんじゅ)は、私の思い出の場所である。百名の集落には私の親戚の家があることから、小学校の頃の夏休みには、新原(みーばる)ビーチに海水浴に来るのが慣例となっていたのだ。その当時は海岸までの道路は今みたいに整備されておらず、百名の集落から山の中を下り、受水・走水の湧水のそばの水田脇を通りビーチで海水浴を楽しんだのです。帰りは、受水・走水の前の水田でカエルやヤゴと遊び、受水・走水の湧水で体を洗い流し、家へ戻っていたのです。その当時の私の記憶の中では、受水・走水の前の水田に鶴が稲を持ってきて沖縄で米が出来るようになった程度の知識しかなかったとおもいます。

受走a 受走b

 上の写真の受水・走水の説明書きや玉城村の文化財概要の稲作発祥伝説に書かれている内容を読むと、私が小学校のころに聞き知ったことに大きな間違いはないようだ。

受走c 受走d

受走e 受走f
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 これで、南部の史跡の、10%程度は廻れたかな?とりあえず飛行機の時間も気になるので、次見る場所は飛行場へ向かいながら考えるとして、とりあえず、海岸沿いを奥武島(おうじま)の方へ向かうことに、奥武島には結構有名な沖縄天ぷらのお店があり、ふうちゃんはこれが目当てなのである。途中宮本亜門さんの家や浜辺の茶屋の傍をとおり、奥武島の天ぷら屋さんへ到着です、お客さんの行列ができています、待つこと20分ふうちゃんは、3人で食べきれないほどの天ぷらを抱えてきました。私と私の友人はイカの天ぷらを1つづつもらい食べると、これが美味いんです。奥武島を訪れる際は沖縄天ぷらを召し上がってみてはいかがでしょうか。その後ちょっと早めではありましたが、飛行機の便を早める事が可能とのことで、友人を那覇飛行場に送り届け、今回の城廻り散歩は終了となりました。沖縄では確認されているだけでも300余の城があると聞きます。全部廻るにはどれくらいかかるのでしょうかね!次の機会にまた挑戦です!

★次は「台風2号被害の畑は今」を6月28日公開です★

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沖縄は慰霊の日

2011
06-23
 今日6月23日は、去る太平洋戦争で日本で唯一地上戦が行われた沖縄において、日本軍の組織的な戦闘が終結した日とされている。いろいろ調べていると、組織的な戦闘はその後も続き、琉球列島守備軍が嘉手納米第10軍司令部で正式に降伏文書に調印したのが9月7日で、6月23日以降も悲劇は続いていたとのことだ。6月23日(6月22日という説も)は、日本軍第32軍司令官・牛島満中将と同参謀・長勇中将が糸満の摩文仁で自決した日だと言われている。

慰霊c 慰霊d

 沖縄県では、沖縄戦の戦没者の霊を慰めて平和を祈る「慰霊の日」を6月23日と定めています。南部の平和記念公園では、20万余の戦死者(内9万4千人余りが兵隊以外の一般県民や子供)の尊い命を奪った沖縄戦の悲惨さを思い「沖縄全戦没者追悼式」が行われます。正午の黙祷により戦没者の御霊を慰め、世界の恒久平和を願う沖縄県民の思いを世界に発信しているのです。また同時に、沖縄県内に散在する各地の慰霊塔などでも一斉に慰霊祭が行われます。

慰霊a 慰霊b

 沖縄県内には、今もなお大量の不発弾が残されていて、爆発事故が後を絶ちません。米軍兵士による、卑劣な事件、事故も後を絶ちません。広大な米軍基地が有るがゆえの重圧を強いられ続けているのです。沖縄の戦中、戦後に成されてきたことについては国民全体の問題として真剣にとらえ、今後の沖縄のありかたについて考えていきたいものである。

慰霊e 慰霊f

 海軍沖縄特別根拠地隊司令官
大田実少将(自決後中将に昇進)海軍次官宛電文
昭和20年6月6日付け

「沖縄県民かく戦えり!」

「県民に対し後世特別の御高配を賜らんことを!」


平和の礎建設の趣旨
 沖縄の歴史と風土の中で培われた「平和のこころ」を広く内外にのべ伝え、世界の恒久平和を願い、国籍や軍人、民間人の区別なく、沖縄戦などで亡くなられたすべての人々の氏名を刻んだ記念碑「平和の礎」を太平洋戦争・沖縄戦終結50周年を記念して建設する。

平和の礎建設の趣旨にならい

国籍や軍人、民間人の区別なく、沖縄戦で亡くなられたすべての人々の御霊に対し

【拝礼、黙祷】いたします。


★次は「琉球歴史散歩:南城市玉城路[5]」を6月25日に公開です★

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糸満の魚屋さん

2011
06-21
 爺ちゃまは、月に一度はイカ墨汁を作るという、それが今日なのである。一度ご相伴にあづかったことがあるが濃厚な墨汁で、イカ以外にも皮つき三枚肉も入った味噌仕立てのイカ汁は、まろやかな深みのある味わいなのである。今日は、私も時間があるので、爺ちゃまの買い出しに付き合うことに。向かうは、漁師の町、糸満市の糸満道の駅にある、お魚センターで、6~7店舗の新鮮な魚をあつかうお魚屋さんが出店しているのだ!お魚センターに着いて、爺ちゃまが、「シルイチャー」(あおりイカ)を購入し、さばいてもらっている間に、わたしは、お魚センター内の魚屋さんの店先散歩です。

 こないだ釣りに行ったとき、釣れなくて悔しい思いをしたグルクンがあります。

 写真をクリックすると拡大表示できます
魚屋a 魚屋b

 釣り師徳が釣ってくる、タマンもあります、爺ちゃまからすればこのタマンは小さいので、コマンというかもね!アカマチこれは、400mより深い深海で釣れる魚です、白身?ホワイトピンクかな!くせのない、あっさり味のさかなですよ!金魚みたいですね!、アカジンミーバイ等数種類のミーバイがあります、これは高級魚でどのように料理しても美味い魚です。ビタローもあっさり系の魚で、バター焼きや、煮つけ、マース煮等がいいかな!、カーエーは私も釣りでよく狙う魚です、去年の10月渡嘉敷島の阿波連漁港で40センチクラスを2匹釣りましたよ!身がしまっていて刺身などがいいかな!、すごいです、目ん玉だけパックされています、マグロの目ん玉です!ここが美味いんだよね!

魚屋c 魚屋d

魚屋e 魚屋f

魚屋h 魚屋i

 セミエビ?ワラジエビ、だったかな?水槽に入っています。、身が多く食べごたえはイセエビよりあるかもね!カニも縛られて生けすの中で売られています。アーガイも阿波連漁港で40センチ弱が2匹釣れましたよ!爺ちゃまのイカもさばき終わったようです、袋を持って店から出てきます。お魚センターの散歩も終わりです。
 爺ちゃま家に帰ると料理作りで大忙しですね!出来上がったら娘さんも呼ぶのだそうです、娘と二人で食べるイカスミ汁、美味しいでしょうね!楽しみだね!

魚屋j 魚屋k

魚屋g 魚屋l

すみませんなのです!
魚を見ての散歩に夢中なあまり、肝心なシルイチャーの写真を撮影するのを忘れていましたです!

★次は「沖縄は慰霊の日」を6月23日公開です★

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琉球史跡散歩:南城市玉城路[4]

2011
06-20
仲村渠樋川  (なかんだかり ひーじゃー)

 車を走らせ、仲村渠の集落前まで来ると、仲村渠樋川の看板を見つけ集落内へ、どこにあるかわからないまま集落内にある公共施設前の路上に車を止めて外へ出ると、目の前に大きなデイゴの木がある、この下かなと見当をつけかなり広めの綺麗に整備された石畳道を下ると当たりです、目の前に水の湧き出る仲村渠樋川が見えてきた。石造りのなかなかいい感じの泉です。奥の方には赤瓦で作られた建物があります、何かと思ってのぞくと五右衛門風呂があるではないか、仲村渠の人たちは共同でふろを沸かして入浴していたのだろうか!

仲村渠a 仲村渠b

仲村渠c 仲村渠d
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 説明書きにはこのようなことが書かれている。

仲村渠樋川(なかんだかり ひーじゃー) [国指定重要文化財:平成7年6月27日 指定]

 仲村渠樋川は、仲村渠集落の共同用水施設で、沖縄の伝統的な石造井泉を代表するものである。
 古くはうふがーと呼ばれ、水場に木製の桶をすえた程度の施設だったようだが、大正元年(1912)から翌年にかけて、津堅島の石工により琉球石灰岩などを用いて作り変えられた。その施設は、いきががー(男性用水場)、いなぐがー(女性用水場)、広場、拝所、共同風呂、かーびら(石畳)によって構成され、敷地北側からの清水を貯水槽に貯え、水場に流して使用されていた。昭和30年代に簡易水道が敷設されるまでは、飲用、洗濯、野菜洗い、水浴びなどの生活用水として利用されていたが、最近は主に農業用水に利用されている。しかし、先の沖縄戦で共同風呂周辺は破壊され、土で埋められたため、昭和39年に広場にはモルタルが塗られ仮の改修がなされた。更に平成16年に実施された復元工事により、大正2年(1913)当時の樋川に復元され敷地全体の景観が整えられた。同時に、いきががーの芋洗い場や広場の石敷き、共同風呂も復旧整備がなされた。共同風呂については、主に発掘調査により発見された出土品(北側の石柱2本、石壁の一部、水槽、荒い場床、五右衛門風呂の一部)や近辺の類例などをもとに復元がなされた。また、法面保護のため、共同風呂北側及び広場東側に擁壁工事が施され整備された。

★次は「糸満の魚屋さん]」を6月21日に公開です★

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琉球史跡散歩:南城市玉城路[3]

2011
06-18
 やっとレストランに到着です。早速ウェートレスさんが差し出したメニューに目を通し、私の友人は白身魚のフライ、ふうちゃんはうな丼、私は、クラブサンドにアイスコーヒーを注文して腹を満たすことに。ここは、和洋折衷なんでもありのレストランです、アップルパイもショーケースに一杯おかれていましたよ!(笑)。以前は有名なステーキハウスだったような記憶がありますが、現在は沖縄独特のなんでもありのドライブインレストランのようです。兎にも角にも腹を満たすことができた私たち三人は腹いっぱいです、満足です。早速腹ごなしも兼ねた史跡散歩です、次に目指したのは垣花城跡と垣花樋川です。私は1985年に環境庁水質保全局水質規制課が制定した全国名水百選に沖縄で唯一選ばれた垣花樋川が以前から気になっていたのですが、訪ねるのは今回が初めてです、楽しみです。

垣花a 垣花b

垣花城跡  (かきのはなぐすく)

 垣花集落の中に垣花城はありました、到着です、整備されている様子がないので、外から眺める程度にします。説明書きによると、この城跡は、一の郭と二の郭からなり、垂直に近い野面積みの城壁を有していて、城壁の最も高い所に立つと、太平洋を眼下に、南の低地に百名、仲村渠の各集落、北に垣花を眺望することができる。歴史については、記録や伝承がなく不明とのこと。二つの郭には、それぞれ小面積の広場が確認され、現在では、アワダン、クロヨナ、ツゲモドキ等の熱帯樹が繁茂している。一の郭の奥には御嶽があり「琉球国由来記」によると神名は「アフィハナテルツカサノ御イベ」と記されているとのことです。

垣花c 垣花d

垣花樋川 (かきのはなひーじゃー)

 垣花城を離れ一寸行くと垣花樋川の案内があります、2台ほど止められる駐車場に車を止め垣花樋川に向けて出発です。ふうちゃん気取って歩いています、樋川の進入口近くの住宅に何やら黄色い実がついた木があります。その木の苗を売っていますとの看板もあります。垣花樋川までは、急な石畳の坂道になっています。滑りそうで怖いのですが一歩一歩踏みしめて下っていきます、結構距離があるようです周囲には木が生い茂っていて素晴らしい環境ですが、一人で歩くにはちょっと怖いかなと思っているところに、下の方から一人の女性が上がってきます、樋川はまだまだ遠いのですかと尋ねるとまだまだだという!登り降りはきついが、綺麗でしたよ!という。

垣花e 垣花f

 彼女とわかれしばらくすると、「なかゆくい石」の表示看板がある、途中で休むための石ということである、やっと中間です、さらに下っていくと前が開けてきます、視界の先には太平洋が見えます、周辺には水田があります、泉があります、綺麗です、私と友人は設置されているベンチに腰掛けて、ひと休みみです。ふうちゃんは、まだ元気のようです、泉の湧きだすところを散策しています。下から見ていると赤いシャツを着たお猿さんのようです(笑)しかし、美しい眺めです、水の清らかな流れ、深い緑の山の中腹から幾筋もの湧水が流れ出ています、見ているだけで気分爽快です!

垣花g 垣花h

垣花i 垣花j

垣花k 垣花l
写真をくクリックすると拡大表示できます

 爽やかな気持ちになったところで、車まで戻ることに、登り道かなりきついです、昔の人はここで水を汲んでこの坂を上がっていったのですね!大変だったでしょうね!なかゆくいの石必要ですね!車までたどり着くともうくたくたです。一寸ひと休みです!お疲れ様です。

★次は「琉球歴史散歩:南城市玉城路[4]」を6月20日に公開です★

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沖縄のお天気に誘われ青い海

2011
06-17
 実は、7月2日に私の友人を誘い、那覇一文字防波堤で、県魚のグルクン(タカサゴ)を釣りに行く予定をしているのですが、7月2日の本釣行前に、本日はテスト釣行のつもりで出かけたのであります!しかし、釣れません!ショックです!てなわけで、タイトルを「沖縄のお天気に誘われ青い海」に急遽変更です(笑)「テスト釣行記」なんてタイトルにして、沢山釣れました!大漁で~~す!なんて記事にしたかったのにね!これは、7月2日の本釣行のときのためにとっておきますです。

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防波堤a 防波堤b

 安謝の漁港を9:00出港です、港に係留してある遊漁船を撮ると青い空と青い海が綺麗です、沖縄は梅雨が明けてからというもの毎日この状態です、良いなあ~~とも思うのですが!毎日30度越は熱~~いです!ふうちゃん完全防備で今日の第一投目です。

防波堤c 防波堤d

 洋上では白い波をたててボートが走っていきます、白い波と海の青、映えますね~~!ふうちゃん浮をながめ魚が引き込むのをじっと待っています、ふうちゃんも青い海に映えていますね~~!

防波堤e 防波堤f

 那覇一文字防波堤は、那覇空港の北側の進入口にあたります。飛行機が那覇空港に降りて行きます、赤い灯台と青い海、映えますね~~!、消波ブロックが沈んでいるあたりの海面を撮影しました、綺麗なコバルトブルーですよね、実は結構大きな魚、10匹ほどの群れがいたので撮影したのですがわかりづらいですね!

防波堤g 防波堤h

防波堤i 防波堤j

防波堤k 防波堤l

  これってすごいと思いませんか、工事の際、消波ブロックをつり上げる為に埋め込まれた、直径70mm以上はあるとおもわれる、鉄の棒が塩害でこうなってしまうのですね。ここは那覇港の出入口です、大きな舟が出入りします。写真の舟は水産庁と表示されています、海洋資源の調査でしょうか!コンテナを積んだ舟も入ってきます。この消波ブロックでかいと思いませんか、ふうちゃんと一緒に撮ってみましたが、4本ある突起!足?の一本です、消波ブック1個を設置した状態での高さは5m以上あるのでは!

防波堤m 防波堤n

 つれない釣りも終わり、納竿です。迎えの舟が来るまでの間、防波堤に上がる階段の前で待っていると、消波ブロックの上に海鳥が羽を休めています。可愛いね~~!青い海に映えてますね~~!、ついに迎えの舟が着きました、上手いものです、タイヤのついた舟の舳先を舟の推進力で岸壁に押しつけ舟を固定しています、15:00乗船です、やっと帰れます。防波堤の上は太陽の光や紫外線から逃げられる場所などはありません、熱いです、コンクリートの輻射熱も暑いのです、灼熱地獄なのです(大袈裟な)、魚が釣れていたら暑さなんか、なんとも思わないのですけどね~~!しかし、熱~~い、で~~す!(笑)

★次は「琉球歴史散歩:南城市玉城路[3]」を6月18日に公開です★

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琉球史跡散歩:南城市玉城路[2]

2011
06-16
糸数城跡

 腹減った~~のなか、狭い道路を登っていくと左手に城壁が見えてきました。糸数城跡に到着です、かなり大きな城のようです。糸数城跡の碑の近くに車を止め糸数城散歩の始まりです。

糸数a           糸数b

史跡  糸数城跡  昭和47年5月15日  国指定
 
 この城跡は、現在の糸数村落南側の断崖上に築かれた古城で、築城年代は不明ですが、玉城按司が二男を大城按司に、三男を糸数按司に任じたという伝説があり、おそらく「三山分立時代」の初期14世紀前半の築城であろうと思われます。
 城壁は野面積みと切石積みと両方用いられ、切石積みの部分がもっとも高く約6メートルで、この上に立つと太平洋と東支那海が眼下に望めます。
 構造的には比較的単純な城で、西側は断崖を利用し、東北東に城門をひらいています。城内の随所には遺物包含層がみられ、そこからは土器に混じって中国製品の陶磁器類が発見されます。また、「琉球国由来記」にも記載された「糸数城之殿」も場内の一角にあります。
                                       沖縄県教育委員会 昭和53年3月31日

糸数c 糸数d

糸数e 糸数f

糸数g 糸数h
この写真はクリックすると拡大表示できます
 
 糸数城の説明書きを読んだ我々3人は6メートルの城壁目指して、歩き始めたのですが、その城壁に登るためのルートを見つけることができません。諦めです、太平洋と東支那海が見たかったのに~~!しかし散歩してみると糸数城はかなり広いようです、復旧整備すれば、中城城のような観光資源になるのでは!と話しつつも、お腹は腹減った~~と騒いでいます!大合唱です!(笑)。糸数城を後にすると、私の友人が観光地図上にレストランを見つけました、そこに向かって直行です!

★次は「沖縄のお天気に誘われ青い海」を6月17日に公開です★

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琉球史跡散歩:南城市玉城路[1]

2011
06-14
 知念城跡の散歩を終えると12時を過ぎています、腹が減った~~です!とりあえず次の玉城城跡の方向に向かい食べ物屋さんを探すことに、しかしなかなか見つけることができません、そうこうしているうちに城道路の表示のなかに玉城城跡の行く先案内も出てきます、ちょっと行くと玉城城が現れました、食事は後回しにして玉城城を散歩です。城の上に登ると、眼下にゴルフ場が見えます、私は、このゴルフ場に二十数年通って写真のコースも何度も回っているのですが、ここに玉城城があるとは思いもしませんでした。ゴルフに夢中で周りを楽しむ余裕もなかったのでしょうか!情けないですね。

玉城a 玉城b

玉城城跡

 玉城城の城門はちょっと変わっていて自然石をくり抜いて作られているようです。玉城城からも太平洋に浮かぶ久高島が見えます。城域は、上方から下方へ主廓(一の郭)、二の郭、三の郭の連廓式の山城で天然の要害の地に築かれている。城壁は、一の郭のみがよく原型をとどめていて、二の郭、三の郭の城壁は、戦後米軍基地の建設の骨材として持ち去られ、現在根石が、かろうじて残っているにすぎない。面積は7,900㎡とのこと。
 教育委員会の説明書きによると、この城は別名アマツヅ城と称されていて、築城年代や歴代の城主は定かでないとのこと。「島尻郡誌」では、アマミキヨが築いた城であるとの伝説があって、城主はアマミキヨの子孫で天孫子であったという記述があるという。
 
玉城c 玉城d

玉城e 玉城f

玉城g 玉城h
この写真は、クリックすると拡大表示できます

 玉城城は、写真に映し出されているように、まだ手つかずの荒れ放題です、国指定の史跡なのだからもうちょっと綺麗に修復整備してほしいものです。
 玉城城跡を後にして城道路を先に進むと、糸数城跡の案内が出てきました、しかたありません次は糸数城の散歩です、食事はいつになることやら、腹減った~~です!

★次は「琉球歴史散歩:南城市玉城路[2]」を6月16日に公開です★

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琉球史跡散歩:南城市知念路

2011
06-12
 昨日「伊祖城・浦添ようどれ・浦添城・中城城」と一緒に”城”廻りした東京の友人が、今日の17:00に帰るというので、琉球の祖神アマミキヨが初めて降り立ち、今でも数多くの神聖な祭事や慣習が受け継がれる、神の島”久高島”を案内することに。朝10:00那覇市内のホテルから友人を拾うと、久高島行きの船が出る、南城市知念の安座真港へ。!え~~高速船がドック入り!なのです。フェリーはあるのですが、17:00の飛行機に間に合うようにするには、島での滞在時間が1時間しかありません!あきらめです!予定変更です!ということで昨日に引き続き、今日は南部の”城”廻りをすることに。まずは、知念岬から久高島を眺め写真でもと思うのですが久高島にカメラを向けても何故だか焦点が合いません、何度も挑戦するのですがだめです、久高島の右手に見えるコマカ島は焦点も合って撮影できるのです!久高島は神の島です心清らかな人にしか撮影を認めないのでしょうか!(笑)

知念a 知念b

知念城跡
 
 今日最初の”城”は、南城市知念にある「知念城」です。大きな幹線道路から、集落の中を横切り急な坂を登っていくと途中に知念城見学者のための駐車場があります。車を止め今車で上がってきた道を横切り、知念城へ向かう狭い坂道を下ります、右手にノロ(琉球王府時代に村落の祭事を司り宗教的に管理支配した女性神役のこと)の屋敷跡との表示柱が見えます、カメラを向けると、友人とかみさんのふうちゃんに止められます。神事を司るものの所を撮るのはひかえたほうがいいのではとのこと。左手には、由緒書きがあります、写真では読みづらいと思いますので内容を書きます。

史跡 知念城    昭和47年5月15日 国指定
 この城は、二つの部分からなっています。一つは東南部の古城で、高所は1~2メートルの野面積みの石垣で囲まれ、内部はうっそうとした森となっています。ここは「おもろそうし」に「ちゑねんもりぐすく」と謡われた霊場です。この古城の西方に高さ3メートルの切石積みの城壁をめぐらした新城が連なります。城壁の東に正門、北に裏門とアーチ形の城門をひらき、城郭には、沖縄の開闢伝説でも名高い久高島の遥拝所があります。
 この新城は尚真王の異母兄弟にあたる内間大親が築いたものといわれていますが、審議は不明です。知念城は古くは代々の知念按司の居所でもあったと思われますが、それがたんなる城郭ではなく、「あまみきよ」の伝説と尚真王の権威とが結びついたいわば宗教的城という意味で重要です。
                              沖縄県教育委員会  昭和53年3月31日

知念c 知念d

知念e 知念f

知念g 知念h

知念i 知念j

 以前渡嘉敷島でのブログにも書いたような、変わった形をした木がここにもありますよ!

知念k 知念l

★次は「琉球歴史散歩:南城市玉城路[1]」を6月14日に公開です★

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ゴーヤーで緑のカーテン

2011
06-11
ゴーヤーa         ゴーヤーb

 5月6日に中部農林高校の美人女子学生から種をゲットしてから1か月を超えました。種を貰った後の5月7日、水に浸したコットンの上にゴーヤーの種まきです。早く芽が出ろ~芽が出ろ~と思うのですがなかなか思うように出てきません。あせるぜ~~!

ゴーヤーc ゴーヤーd

 6日後の5月13日には芽も出て、5ミリほどになったので、苗づくり用のポットに植え付けです。これからは結構速かったです、6日後の5月19日には7㎝ぐらのゴーヤーの苗が出来ましたものね。その後1週間ほどたってからプランタンに植え付けたのでした。

ゴーヤーe ゴーヤーf

 ゴーヤーを植え付けたプランタンは東側のベランダー園で見守っていたのですが、6月9日には、30㎝ほどに成長しましたので、いよいよ西側の窓にゴーヤーの緑のカーテンを作る作業です、窓全体にネットを張り付け、ゴーヤーの苗を植えたプランタンも東側のベランダー園から、西側の窓の下にセットです。これで緑のカーテンの準備はすべて整いました。後はゴーヤーの成長を見守るだけです。早くゴーヤーでてこ~い!

ゴーヤーg ゴーヤーh

ゴーヤーi ゴーヤーj

 2ヶ月後には、西側の窓一杯にゴーヤーの葉っぱが張り付いているのでしょうね、ゴーヤーの実もね!楽しみです、今年はゴーヤーをたくさん食べて健康維持につとめるぞ~~!夏バテはしないぞ~~!です。もう一つでした涼しくすごすぞ~~!

★次は「琉球歴史散歩:南城市知念路」を6月12日公開です★

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琉球史跡散歩:中城路

2011
06-10
 東京から来た私の友人が中城城跡に行きたいという、流石沖縄通です、”城”探訪ですと思っていると、かなり昔営業していたホテルで、現在は廃墟になっているところが中城城の近辺に有るという情報を得ていたようだ!な~~んだ、それか~と思いつつも中城城跡へ行くことに。

中城城跡

 名将・護佐丸の居城として名高い中城城は、伝承では、13世紀に中山王に就いた英祖(えいそ)が、自分の子を中城按司として任じ、築かせたと伝えられています。1260年から5代90年続いた英祖王統、つづく2代56年間の察度(さっと)王統、その後の尚巴志による三山統一まで、先中城按司と言われる英祖王統ゆかりの按司が中城城を守ったと考えられています。1440年、勝連城の亜麻和利を牽制するため、王府の命を受けた護佐丸は座喜味城より移り住み、勝連に面する北東側の大増築を施し、グスクの強化を図る。1458年、護佐丸は亜麻和利の謀略(首里王府の策略との見方もあり)により、亜麻和利を総大将とする王府軍によって攻められ自害して滅びる。1609年の薩摩による侵略後の統治時代は、中国からの冊封使節団が来琉した際、薩摩の役人は自らの存在を中国に知られないようにするため、ここ中城城に隠れていたという伝承がある。護佐丸滅亡後の1470年、金丸(尚円)によりクーデターが起き、第一尚氏に代わって王位に就いた第二尚氏の時代には中城の領地が王の直轄地となっており、中城城は王子の居城として暫くの間は使われ、その後は番所、村役場と戦前まで利用されてきたとのこと。【ザ・登城より】

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 中城城の中の散策も最後、一番奥のほうまでだどりつくと!なんと友人の言っていたホテルの廃墟が見えてくるではないか、なんとも”城”とはアンバランスな構造物です!海洋博当時に作られ倒産したホテル跡とのことである。これも史跡?(笑)

中城k 中城l
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★次は「ゴーヤーで緑のカーテン」を6月11日に公開です★

 沖縄気象台から9日午前、沖縄地方が梅雨明けしたとみられるとの発表です。平年より14日、昨年より10日早いそうです。糸満ハーレーも終わっているのだから、梅雨も明けるよね!

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琉球史跡散歩:浦添路

2011
06-08
 東京の友人が沖縄入りです、沖縄県内の会社へ用事のようです。用事は午前中で、その後何処かに行こうという!困りました、この友人は既に沖縄中を見て回っていて、いまさら行くところが思いつきません。本人は浦添城(ウラソエグスク)に行こうといいます!そうだよね!琉球の”城”私自身もも踏破してないところが沢山残っているではないか(ほとんど知らないのだが:笑い)ということで、”城”関連の史跡廻りに決定です。まずは、本人の希望を入れて、伊祖城跡・浦添ようどれ・浦添城跡を散歩することに!伊祖城跡公園の駐車場へ車を止め、公園の階段を登ると目の前に大きなガジュマルの木が見えます、その周辺の広場では、お年寄り達がグランドゴルフを楽しんでいます、古き歴史と現在とのコラボレートです、傍らをぬけ城跡の見学用に作られた木の階段を上がると石畳の道が現れてきます、さらに石の階段を上ると鳥居が見えます、城ができた当時の琉球には神道はなかったと思うのですが、何故ここに鳥居があるのでしょう!私としては不思議でなりません。調べると、現在は伊祖神社として祀られているようです、なんとなく納得かな!?でも不思議だよね!

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伊祖城跡

 伊祖城(イソグスク)は、英祖王(1260~1299年 在位)の父祖歴代の居城だと伝えられています!英祖王の父・恵祖世の主は、沖縄最初の王統だといわれる天孫氏の流れをくむ人物で、伊祖城を居城としていました。恵祖世の主には、子供がいなかったのですが、ある晩、日輪が飛んで来て妻のふところに入る夢を見ました。そして生まれたのが英祖王だと言われています、英祖王の神号は、「英祖日の子」(エソノテダコ)となっています。

 琉球の開闢(かいびゃく)の人祖といわれるアマミキヨが建造した由緒ある古い”城”(グスク)だとも言われています。また、伊祖城を謡った「おもろそうし」には、「伊祖の石城(イシグスク)」、「伊祖の金城(カニグスク)」など、この”城”が堅固であったことが謡われています。

浦添ようどれ

 浦添城に上がる道の手前から見学用の木の階段を、左に降りて行くと視界が広がり”浦添ようどれ”にたどりつきます、白い琉球石灰岩で作られた王陵は、向かって右側が、1261年に作られた”英祖”王の陵墓で、左側が1620年に作られた”尚寧”王の陵墓と言われています。英祖王は、沖縄が3つの王統に分かれていた三山時代、浦添を中心とした「中山」の王で、尚寧王は、第二尚氏と呼ばれる王統で即位した王で、この二つの陵をまとめて”ようどれ”と呼んでいます。ようどれは、琉球語で「夕凪」のことで、他に「極楽」という意味もあるのだそうです。現在市名となっている”うらそえ”には「津々浦々を支配する」という意味があるとのことです。
 
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浦添城跡

 浦添城(ウラソエグスク)は、首里城に王府が移されるまでの約220年間、中山王の舜天王統、英祖王統、察度王統の居城であった。首里城に首都が移る(1361年~1427年の間と考えられている)と廃墟と化したようである。
 浦添城は、13世紀ごろ築城され、15世紀までに英祖王や察度王などが居城としたと言われています。14世紀に中国や東南アジアとの交易で栄えた浦添は、王都として整備され、首里の原型となります。15世紀の初めに王都が首里城に移転し、浦添城は荒廃しましたが、その100年後に、浦添出身の尚寧王が再び居住するようになります。”浦添ようどれ”には英祖王と尚寧王が眠っています。

 
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 浦添城に上がる途中には、伊波普猷氏の御墓があります、伊波普猷氏は、明治9年に沖縄に生まれ、東大在学中に浦添が首里以前に古都であったことを最初に論じた「浦添考」などの優れた論文を発表、帰郷して県立図書館長になった伊波先生は、歴史研究の傍ら、琉球処分後の沖縄差別で自信を失った県民に、自信と誇りを回復する啓蒙活動を行ったのです。

 浦添城は、大した遺構は残っておりませんが、市民の憩いの場であり、ここから眺める眺望は素晴らしく、はるか先には、東シナ海に浮かぶ慶良間諸島や、太平洋上に浮かぶ久高島も望むことができます。また、現在取り上げられている普天間飛行場も眼下に望むことができます。

★次は「琉球歴史散歩:中城路」を6月10日に公開です★

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糸満ハーレー

2011
06-06
 ついに梅雨明けです。今日6月5日(旧暦5月4日「ユッカヌヒー」)は糸満ハーレーです、梅雨が明けるのです、昔からハレー鉦が鳴ると梅雨が明けると言われています。しかし気象庁は梅雨明け宣言をしていません、どうしたのでしょうかね!良いお天気なのに。今日は、ふうちゃんも休みです、一度も糸満ハーレーを見たことがないという、すると爺ちゃまも見たことがないという、おかしいよね!爺ちゃまは、糸満高校出身なのに(笑)ということで、3人で糸満の漁港に出発です!糸満漁港に着いて護岸の方に行くと、ハーレーに使かうサバニの前で、ふうちゃんが櫂(かい[沖縄では「エーク」という])を片手に、これで琉球舞踊おどれるねと言っている。漁港内では、漁船の上にあつらえられた舞台の上で琉球舞踊を披露している、ゆっくりした速度で港の護岸沿いを巡回して披露しているのだ流石糸満、漁師の町だね、舟の上に舞台なんてやることが違うね!

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 糸満ハーレーは、大漁と航海安全を祈願するウミンチュ(漁師)の祭りで、西村、中村、新島の3つの村に分かれて、村対抗で行われている。それぞれのハーレー舟(サバニ)には、12名(漕ぎ手10名、舵取り1名、鉦打ち1名、御願バーレーはデーフィが1名加わって13名)のハーレーシンカ(ハーレーの舟に乗るメンバー)が乗り込み、各ムラの名誉のために覇を競い合うとのこと。

 港の中央付近にアヒルが放されました、号砲を合図に護岸で待ち構えていた子供たちが一斉に飛び込みアヒルを捕らえようと追っかけまわします、アヒルも必死です、バタフライのような動きで逃げ回ります。数分もするとアヒルを捕らえた子供たちが護岸に戻ります。アヒルは捕まえた人が持ち帰っていいのだそうです、上手く捕まえられた人良かったね!今時一般の家庭でアヒルをさばけるのかな!と余計なことを考える私がいます。

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 教員団学校別対抗のハーレーです、糸満の小中の混成チーム・糸満高校チーム・フレンズアブロードアメリカン女性先生チームのハーレーの始まりです。みなさん力が入っています、息がピッタリです、櫂さばきも見事です!護岸の上ではワンちゃんも応援です。

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 糸満ハーレーの幕開けは、一週間前に港を見下ろす、サンティンモーでハーレー鉦を打ち鳴らし、時期の到来を人々に知らせることから始まります、ハレー当日の朝はハーレーに参加する三村(西村・中村・新島)の代表者たちが一堂に集まり御願(うがん)を行い。南山時代から旗を振る役目を継ぐ、徳屋の当主がサンティンモーから港に向けて旗で合図を送ることで、三村のハーレー舟が猛然とスタートします。旧来から行われている主なハーレーの競漕は、糸満漁協組合青年部による神事性を重んじ、競漕の先着順に白銀堂に詣でて一年間の大漁祈願、航海安全祈願を行う「御願バーレー」や、レースの途中で舟を一斉に転覆させたあと、舟を元通りに起こし、再び乗り込んで競漕する糸満独自の競漕形態の「クンヌカセー」や、種目の最後に行われ、各村ともに腕力、技量ともに秀でた、えり抜きの漕ぎ手が出場し、距離も他の競漕の2.5倍と長い距離で競う「アガイスーブ」がある。現在は、多くの人が参加できる、青年ハーレー、中学生ハーレー、職域ハーレー、高校生学校別対抗、教員団学校別対抗、門中ハーレーなどももようされている。中でもアヒルを港に放ち、参加者が泳いでつかまえるという非常にユニークなイベントなどで、観客を楽しませてくれるのが糸満ならではのハーレーなのです。

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 クンヌカセーがスタートです、途中まで来ると、舟をひっくり返しました、直ぐに舟を起こし、水をかき出します、舟の上に上がると水をかき出す人と舟を漕ぎ進める人に分かれ、未だ半分沈んだ状態の舟から水をくみ出しながら舟を走らせていきます、見事な連携です。勇壮で力強さを感じさせる競技です!感激です。

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★次は「琉球歴史散歩:浦添路」を6月8日に公開です★

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爺ちゃまにマグロが釣れた

2011
06-05
 わたしが福岡の友人と登山のため名護の安和岳に向かっている途中の、5月23日AM9:10爺ちゃまから電話です、マグロが釣れたという、流石です!釣り師徳です!4月16日から狙い続けていたキハダマグロがやっと釣れたのです、去年の倍くらいはあるだろうとのこと、去年のキハダマグロが4.2~4.3㎏でしたから、8㎏越えになるのか!!夕方には釣り師徳の家に行くことに、写真を撮るので、私が着くまで、キハダマグロは水氷に浸けて待ってて欲しい旨伝える。

まぐろa まぐろb

 安和岳の登山を終え、釣り師徳の家へ、途中泡盛の酒造所に立ち寄り50度の泡盛を調達、渡嘉敷島に一緒に行った私の友人を拾い、一緒に登山をした福岡の友人もPM8時から人と会う約束があると言いながらも、釣り師徳の釣ったキハダマグロが見たいので一緒にいくという、大根、長ネギを購入して家に着くと、爺ちゃま満面の笑みで、マグロを上げるのに疲れたよ!という、釣り上げるまでに1時間以上格闘したとのこと、正式な重量8.5㎏そのままではクーラーボックスに入らなかったということで尻尾の方が折り曲げられている、いよいよ写真撮影です、曲がった尻尾をまっすぐにのばして持ってもらい、一枚パチリです!でっかいです。重くて腕も上がらない爺ちゃまです。

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まぐろe まぐろf

 何時ものとおり、解体は私の仕事です。頭をおとし、三枚に下ろし、さしみをおこします、骨の部分は煮つけに、はらのところは塩コショウをふって炙りにします、写真の貝はティラジャーといって甘くてとてもおいしい貝です、私の友人が持ち込んできました、彼は他にも釣り師徳のマグロを釣ったお祝いだからとシャンペンも準備しています、爺ちゃまの昔からの友人もビールを持って駆け付けてきました。取りあえず皆で乾杯です!美酒です!釣り談義で話もはずみ、8.5㎏のマグロを丸ごと使った料理で豪華で楽しい酒宴となりました。

★次は「糸満ハーレー」を6月6日公開です★

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登山安和岳

2011
06-04
 前日福岡から沖縄入りした私の友人は、名護にいる知り合いに会うついでに安和岳に登るという、私もスケジュールをうまく調整することができたので、一緒にいくことに!登山目的で山に入るのは初めての経験であるが、友人は日本全国の山々を歩き回っているベテランであり、私としては安心してのお任せ登山なのです。

安和a 安和b 安和c 安和d

 今の季節山原はイジュの花が咲き山々は白く彩られている。写真は目指す安和岳で手前には三角山がある、勝山公民館に車を止めさせていただき、5分も歩くと登山口が見えてくる、足を踏み入れていく先にはシークヮーサーの畑があって、登山者に対し勝山区の皆様のご厚意により通行させていただいているとのことである、感謝です!シクヮーサーの木には小さなみかんの実がついていました。頂上までの間には蝶々もいます、可憐なピンクの花も咲いています。分岐点の表示や登山道の目印に布が結ばれていて迷うこともなく安心して登山が楽しめます。

安和u 安和e 安和f 安和g 

安和i 安和h 安和j 安和k 

 山の中腹は、南国的な木々や琉球石灰岩の岩がごろごろしています、歩きづらいです、夕べ雨でも降ったのでしょうか、岩がぬれていてすべりやすくなっています、足元に気をつけつつ、一歩一歩踏みしめ3~4回の休憩を入れてもらいながらの1時間45分ついに標高419m安和岳の頂上です。息が切れています、汗が噴出しています!しかし、周りには素晴らしいパノラマが広がっています。水納島がみえます、周囲に山々がみえます、名護の市街地が見えます、沖縄全体、太平洋まで望むことができます、感激です、欲を言えば晴れている日であればもっとはっきりした景色が望めるのでは!しかし、今は梅雨時です、我慢我慢です。次登るときの楽しみにとっておくことにします!

安和m 安和l 安和n 安和o 

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(写真をクリックすると拡大表示できます)

山頂でちょっと休んだ後、やはり1時間45分かけての下山となりました。
登り降り合わせて3時間30分、ちょっとした体のけだるさと心の爽快感、楽しい登山となりました。

★次は「爺ちゃまにマグロが釣れた」を6月5日公開です★

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サンニンの花が咲いた!

2011
06-03
 5月21日、今朝図書館から借りていたすべての本を読み終わったのです、明日が返却日なのですが、福岡から友人が来沖するので、今日の内での返却です、与儀公園の前には市立及び県立の図書館が隣どうしにあるので散歩がてらの返却です、無事返却も済ませ、新たな本も借り帰路に、何時もの散歩コースの漫湖公園近くの橋の前まで来ると、なにやら黄色い花が咲いている、「ソウシジュ」である。黄色い小さな可憐な花が咲き乱れ、木全体が黄色で覆われている、なかなか綺麗なものだ!漫湖の上空では野鳥が風に乗っている、いつもながらこの辺りは自然が豊なところだとおもう、橋を渡りきった”くじら公園”のところには、可愛いいサンニン(月桃)の花が咲いている、今が開花時期だったのですね!サンニンは香りが独特で、沖縄では、旧暦の12月8日(2011は新暦の1月11日)カーサ・ムーチーの日に月桃の葉に包んで作る鬼餅を食べて厄除けする風習があり、沖縄の人にとっては馴染み深い香りである。

サンニンa サンニンb

サンニンc サンニンe
 
 途中爺ちゃまんちに立ち寄り、冷たい水を1杯だけいただくつもりが、1時間20分も歩いていると汗もびっしょりだ、続けざまにもう1杯、喉の渇きをいやしたあと、爺ちゃまんちの畑をのぞくと、植えたばかりの苗がだいぶ成長している!トマトを撮影していたら偶然白い雲に青い空とのコラボの写真を撮ることができた、キュウリはいくつも実が付いている!サヤインゲンの豆はけっこう実がつくので食べごろになると摘んで蓄えている、数がそろえば天ぷらにするのだという、他にピーマンの可愛いのができていたのだが写真がピンボケで掲載ができない!レタスはもう摘める状態だったので私がゲットしましたです。ありがとうです!

サンニンf サンニンg 

サンニンh サンニンj
 
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★次は「登山安和岳」を6月4日公開です★

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爺ちゃま故郷へ(Ⅳ)

2011
06-01
美しい海と忘れてはならない思い!

 爺ちゃまの従弟の畑、鶏小屋の見学を終えたあと、次に案内してくれたのは、北山(ニシヤマ)にある国立沖縄青年の家の敷地内から眺める慶良間海峡でした、写真の先に見えるのが座間味です、あいにくの天気で霞んでしか見えないのですがなかなかの風景です天気のいい日に眺めてみたいものです。

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 国立沖縄青年の家の施設に近接した集団自決跡地に、戦後6年目の昭和26年3月28日「白玉の塔」が建立されました。慶良間地域は、先の大戦で日本で一番最初に地上戦が行われた地域なのです。昭和20年3月26日に座間味島、翌27日には渡嘉敷島に米軍が上陸、翌28日には渡嘉敷島の人々がこの地で集団自決329人もの尊い命が失われたのです。渡嘉敷島住民の戦没者は346人となっています。
 ここには、1945年4月2日ロサンゼルスタイムスの朝刊に掲載された記事「野蛮なヤンキーの噂で拷問より死を選ぶ日本人」のパネル「集団自決ここであったこと」がある。これは、悲しくも忘れてはならない歴史の事実なのです!

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 その後、国立沖縄青年の家のある、この地域は、米軍に接収されたため、白玉の塔も現在の(儀津岬)に移設され、新たに建立されたのです。渡嘉敷村では毎年3月28日を慰霊の日(住民玉砕の日)と定め、慰霊祭を執り行っています。本日は、私たちも、御魂に対し拝礼させていただきました。実は爺ちゃまのお母様もここに刻銘されているとのことで皆で探したところ確認することができました。合掌

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 翌日の5月16日(月)は、私と私の友人二人で、阿波連集落までの4㎞を歩いて散策する予定でいましたが、朝からすごい土砂降りです、爺ちゃまの従弟に車を借りたい旨話すと、雨で仕事にならないので案内してくれるといいう!阿波連集落にある阿波連ビーチは、土砂降りの雨の中での眺めでも圧倒される程のコバルトブルーの美しい海が広がっています!渡嘉敷島は、誰もが感動する美しい海と忘れてはならない思いを秘めた島なのです!!

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★次は「サンニンの花が咲いた!」を6月3日公開です★

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プロフィール

Author:ノリーダヨ
ノリーのスローライフ ブログから
    沖縄情報の発信です!

影

ゆったりした時間の流れを楽しむ場です
★★ 癒しのひと時を楽しみましょう ★★

【私】:もちろんノリーダヨ、スローライフを提唱しているもののなかなかですね!
 
【ふうちゃん】:私の人生のパートナー沖縄のコスメメーカー勤務!

【しーちゃん】:80歳越えの私の母!

【友人達】:沖縄、福岡、大阪、神戸、東京・千葉・・・他が登場します。

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四季の花時計

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