何気なく見つけた南山城跡
2011
06-30
06-30
何気なく南部路をドライブをしていると、糸満市にある私の同級生の農園、寿々ファームの近くに来ていることに気づき一寸寄り道です。寿々ファームの畑をのぞくと同級生はいなかったものの、660坪の畑はちゃんと耕されている。野菜を植える準備は整っているようだ。しかし!疑問です、沖縄では夏場は野菜が無くなるのです、太陽が強すぎて野菜が育たないと聞いたような?。まあ何か考えているのでしょう、ということにして、寿々ファームを離れ、大きな通りに出る交差点の近くまで来ると、何か気になります、交差点の左角の土地に石積みがあります、今まで何度も通っているのだが、学校とばかり思いこんでいて、気にもしていなかったのです。今日は気になります、最近沖縄の「城」を散歩していたせいでしょうか。たしか、この辺りには「南山城」があったはずです、石積みの手前の狭い道路を中に入ってみます、車の右側には石積みが続いていて、中ほどに石の階段があります、上の方を見ると鳥居があります。伊祖城のときと同じです。またか!と思いながら近くに車を止め階段を上がると、南山城跡の説明書きが立てかけられています。当たりです、ここは、南山城なのです。
南山城
調べてみて解ったのですが、私が小学校と思ったのに間違いはなく、高嶺小学校の敷地の中に南山城はあるのでした!
説明書きには
南山城跡(なんざんじょうせき)
南山城は琉球三山分立時代(14世紀頃)に栄えたグスクです。南山は明国と交易を盛んに行い、財源を得たり、明文化を移入したりして城を中心に南山文化を築いていました。15世紀になって中山王尚巴志に滅ぼされるまでの朝貢回数は22回を数えます。
一九八四年、発掘調査が市教育委員会によって行われ、中国製陶磁器やグスク系土器の他、備前焼きスリ鉢、鉄鏃、ガラス製勾玉などが出土しています。これらの遺物から南山城は13世紀頃に築かれ、14~15世紀前半が特に栄えていたことが分かりました。
南山の東方には水量豊かな「カデンガー」、北方には源為朝と王の妹との逢引場所だと伝わる「和解森」(わだきなー)があります。
南山城
調べてみて解ったのですが、私が小学校と思ったのに間違いはなく、高嶺小学校の敷地の中に南山城はあるのでした!
説明書きには
南山城跡(なんざんじょうせき)
南山城は琉球三山分立時代(14世紀頃)に栄えたグスクです。南山は明国と交易を盛んに行い、財源を得たり、明文化を移入したりして城を中心に南山文化を築いていました。15世紀になって中山王尚巴志に滅ぼされるまでの朝貢回数は22回を数えます。
一九八四年、発掘調査が市教育委員会によって行われ、中国製陶磁器やグスク系土器の他、備前焼きスリ鉢、鉄鏃、ガラス製勾玉などが出土しています。これらの遺物から南山城は13世紀頃に築かれ、14~15世紀前半が特に栄えていたことが分かりました。
南山の東方には水量豊かな「カデンガー」、北方には源為朝と王の妹との逢引場所だと伝わる「和解森」(わだきなー)があります。
平成13年3月 糸満市教育委員会
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★次は「沖縄花探し散歩」を7月2日公開です★
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